2015.08.18
ナユタビルはトキワ荘になれるのか?
トキワ荘は、東京都豊島区に1952年から1982年にかけて存在した木造アパートで、
手塚治虫ら著名な漫画家が居住していたことで有名になりました。
才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、
寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」
「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあったほか、
「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったそうです。
トキワ荘住民には、
手塚治虫 寺田ヒロオ 藤子不二雄 石森章太郎 赤塚不二夫などがいたそうです。
それらの若手漫画家達は後に著名になり、その漫画家達によって同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになり。トキワ荘は漫画家を目指すのもの聖地であり、
あこがれの場所へなっていったそうです。
レンタルオフィス・コワーキングスペース「ナユタビル」は、現代ののトキワ荘にしたい。
そんな願いも込められています。
ナユタビルがトキワ荘と違うのは、決して漫画家を目指すものだけの場所でなく、
夢をデザインする人であれば住民になれるという点です。
いろいろな職種・いろいろな人種・いろいろな年代・すべての垣根を超えて、
コラボして、新しいものを生み出していってほしい。
尊敬は尊敬を生むお互いに尊敬し、切磋琢磨できる仲間が集まり
ここから羽ばたいていってもらいたい。
ナユタビルでは、そんなコンセプトから空間作りにこだわりました。
それは、運営する「デザインスタジオ那由多」が、建設を本業にしている会社という点もあります。
オープンスペースは空港のイメージ。
そして7つのコンセプトをもった国へ旅行しながら、
自らの理想郷を探していってもらいたいという願いが込められています。
ただ誰でも入居していいか?そこには明確な審査基準が必要だとトキワ荘の歴史から学びました。
トキワ荘では下記のような入居基準があったそうです。
『漫画少年』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
協調性があること。
最低限、プロのアシスタントが務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。
といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画エリート達であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと思います。
ではNAYUTA BLDの入居基準は
・自分が自慢できる何かを持っていること。
・協調性があること。
・自分の仕事がプロとしての力量に達していること。
・本当にいい仕事がしたいという強い意志を持っていること。
・そして一緒に幸せの山を登っていけること。
こんな感じでしょうか・・・・・・。
まだまだ始まったばかり空間ですが、
一緒に夢を見て、「本気」で夢を現実にするんだ。という強い意志のある人に集まってもらいたいです。
なんだか生意気なことばっかり書いてしまいましたが、
そんな願いを込めた空間です。
ここからたくさんの可能性をもった人たちが羽ばたくことを切に願います。
2015.8.18